top of page

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
        高野山伽藍説話シリーズ,1

Message # 21 is from: DNET0082 李書文
Time: 94/02/22 12:04:28 Section 13: 雑学広場 (役にたつ話しと情報)
Subj: 高野山伽藍説話シリーズ改め高野山伽藍ばなしシリーズ2


高野山伽藍説話シリーズ改め高野山伽藍ばなしシリーズ2

高野山を龍と見る、ということ

 伽藍境内には、龍臥洞という地名があります。これは、伽藍閼伽井の東南の土地を指しているのですが、壇上伽藍は、その地形が大龍の臥せている様である(『高野秘記』)ところから、壇上は龍臥、と呼んだそうです。それを閼伽井の東南に限って龍臥洞と称するのは、この井戸を龍の口とする説があるからなのです。

 『遍明院大師明神御託宣記』に、「大塔は西龍の頚、御影堂と松(三鈷の松)とは頭」として、さらに「閼伽井は口より出す云々」と記してあります。伽藍御影堂が西龍ということは、東龍もいるわけで、こちらは奥の院が頭になります。また同書の別本に「当山の地形は二龍東西に臥せ、二虎南北にうずくまる。東龍の頭は奥の院。西龍の頭は壇上なり。南虎の頭は大瀧、北虎の頭は天野なり」とあります。

 これらの説は、弘法大師の高野山四至啓白の文に「山の状ちたるや東西は龍の臥せるが如くにして、東に流水あり。南北は虎の踞るが如くにして棲息するに興あり」から来ているようです。

 東龍は御廟を頭、御廟橋を頚、中門を尾とし、西龍は御影堂を頭、大塔を頚とし、瑜祇塔を尾とする、と言います。これには諸説あって、小田原(かさ国のあたり)を尾とする、と言うのもあります。

 参考;蛇原道

 高野山を龍が臥せている、という地形として考えるとき、御影堂が頭、かさ国の辺りが尾であるとすると、ちょうど六時の鐘のあたりから壇上までの道が、龍の腹に当たるところから、「蛇腹」の名がついた、という説があります。
 あるいは、このあたりに大蛇がいて、人を取っては喰らうので、お大師さまがその蛇を竹箒を使って追い払った、という説から「蛇原」と呼ぶようになった、ともいいます。

参考文献;『紀伊続風土記』
      『高野山の伝説』水原尭榮
                          DNET0082李 書文

Copyright © Q-Pine. All Rights Reserved.

bottom of page