高野山の魅力
高野山の伝説(1) 高野に七株あり
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高野山伽藍説話シリーズ,1
高野に七株あり
伽藍には、「高野七株」と呼ばれる木々があります。
1,三鈷の松、
2,龍燈杉、
3,菜子掛(ぞうじかけ)松、
4,登天の松、
5,鳴子の松、
6,逆指(さかさし)の藤、
7,影向(ようごう)桜、
がそれです。
1,三鈷の松;
弘法大師が唐へ留学し密教を修め、日本へ帰る直前、「日本へ帰ったのち、私が密教を教え広めるのに適した地があったなら、その場所を示せ」と言って、三鈷杵と言う法具を、日本へ向けて投げられました。
その三鈷杵が飛来して掛かったのが、現在御影堂の前にある、三本の葉の松の木です。
この松葉を、お守り代わりに拾って帰られる方も多いです。
2,龍燈杉;
山王院、御社のそばにあった木で、この梢に燈明がともった、と言う伝説によるもので、燈明杉とも呼ばれます。
伽藍には現存せず、奥の院燈篭堂のそばにある、といわれています。
3,菜子掛松;
御影堂の後ろにあり、その昔、参詣人がお参りの度に初穂や野菜などをこの松に掛けて、献芹の意を表した、とされています。現存せず。
4,登天の松;
久安五年(1149)に、明王院の如法上人が、その松の木の梢から都率天へと昇天された時、丁度食事のしたくをしていた弟子の小如法(帰従上人)が、師匠を慕って同じように松の木から昇天されました。そこでこの松を登天の松とよぶそうです。なお、帰従上人が昇天される際に、手にしていた杓子を落としたところに芝が生え、それを杓子の芝とよんでいます。
松の木は金堂の西側にあり、芝はその根元に生えています。
5,鳴子の松;
御影堂の後ろ、菜子掛松の横にありました。昔、このあたりに食堂があり、この松に鳴子を掛けていたことから、こう呼んだ、ということです。現存せず。
6,逆指の藤;
倒指の藤とも書きます。御影堂の後ろにあり、持経上人が、高野山再興の運を知ろうと、逆さまに植えた藤で、この藤が生い繁るのは高野山の繁栄を示すものだ、とされていました。現在は若木が植えなおされています。
7,影向桜;
また対面桜とも。大塔の正面にあったといわれています。大塔再建の奉行として、平清盛が高野山に登ってきたとき、一人の老僧が清盛と対面し、一言戒めてから、かき消すように姿を消した、といい、それが弘法大師であったといいます。現存せず。
この「高野七株」は『紀伊続風土記』の撰ですが、同書の十八巻には、金堂前に大桜があり、それは持経上人が植えた伽藍鎮壇のための七株の桜のうちの一株であり、この七株の桜が「高野七株」という説に変化したものでは、という意見も見られます。
数少ない資料を元にしましたので、誤り等あると思いますので、訂正・指導をお願いいたします。
なおつけたしとして、山内のいわくつきの木々を、名のみ紹介しておきます。
西行桜、車寄(とどろき)槙、沓掛松、鼻長坊杉、児桜、隠れ松、影向木………
以上つらつらと書き並べてみましたが、真偽のほどはともかく、高野山にはかくも多くの伝説があるのか、と改めて驚かされるばかりです。
高野山、伽藍の伝説・説話はまだまだあります。それを、浅学ながら少しずつでも紹介していきたいと思いますので、おこらずにおつきあい下さい。
別説あればご紹介を。
DNET0082 李 書文でした。