高野山の魅力
高野山の伝説(7)宝剣を掘り出す事(其の一)
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高野山伽藍ばなしシリーズ;7
大塔を建てんとて地を掘るに、一の宝剣を掘り出す事(其の一)
「爰に不思議なる事あり。此の塔をたてんとて地を拓かれけるに、長さ 五尺広さ一寸八分の宝剣を掘りいだされき。前仏の遊所伽藍の舊基と云う事分明なり。勅によりて叡覧にそなえられしに、いととうとくおぼしめされ、銅の筒に入れて又本のごとく返しおかれけるとかや」
これは、明治四十三年に発行された『高野山通念集』という本の中に見られる一文です。お大師様が密教を学んで唐から帰朝されて、日本に於いて密教の根本道場を開こうと、日本国中を行脚され、そしてこの高野の地を道場の地と定められました(高野山開創の伝説については 高野山伽藍ばなしシリーズ;4「三鈷の松の事」を参照して下さい)。
そこで伽藍を建立するに当たって、根本大塔の基礎を作るために地面を掘り返していたとき、クワの先に何かが当たりました。掘り出してみると、それは長さ五尺巾一寸八分の宝剣だったのです。
大塔の基礎の地面から宝剣が出て来た、という記載は、古い文献の中にいくつか見られます。『高野山勧発信心集』(永仁二年(1294))には、
一 霊地の事
御伝に云わく。又地下より一の宝剣を掘り出す。長五尺広(ハバ)一寸 八尺なり。則ち知る、前仏遊處、伽藍舊基なりと云々。
とあり、また『南山要集』(正保二年(1645))にも、
五尺宝剣事
興然伝に云わく。大智房云わく、大塔の地引とて五尺の宝剣之を曳き出す。
本の如く之を塔の下に埋める云々。
とあります。私が知り得た最も古い文献は『金剛峯寺建立修行縁起』(康保五年(969))で、
仏壇を築く為夷るに、岳の地下より古昔の宝剣を掘り出す。弥に先世の仏地とする由を知る。 としてあります。
三鈷の松の伝説、そしてこの宝剣の伝説を通して、お大師様が拓かれたこの高野山が、古来よりの真言密教の聖地であり、聖地たることを約束された、いわば「選ばれた土地」である事を強調しようとしていたのではないでしょうか?
例えば『高野山巡礼記』(弘長三年(1263))には、
掘り出す所の五尺宝剣并に金剛経軸の事 経般若理趣経なり
とあり、宝剣と共に経軸、それも理趣経を掘り出した、とあり、まさに高野山が選ばれた真言密教の道場である事を説いています。
この宝剣、経軸の件については、時代が下がるにつれ、さらに様々な説や論が付け足され、密教の優越性、高野山の聖地性を説く事になるのですが、それは次回に回したい
と思います。
(続く)
高野山は、パラパラと雪も降って、すっかり冷え込みました。急激な気候
の変化で身体を壊さないようにお気をつけ下さい。
おなかを冷やして不調のdnet0082 李 書文でした
P,S,;故中川善教前官の『高野山伽藍草創の構想と理念』(昭和五十八年)
には、伽藍の地より宝剣、経軸等が出て来たことに触れて、
この宝剣は今も金堂須弥壇本尊厨司の中に保存されてある。
としています。しかし、私はまだ厨司の中に宝剣が納められている、とは聞
いたことがありません。あるなら是非見てみたいものですが、金堂本尊は秘
仏なので、厨司を開ける事は出来ないので、確認をとる事は出来ません。