高野山の魅力
高野山の伝説(5)高野山の刻の鐘
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高野山伽藍ばなしシリーズ;5
高野山の刻の鐘
現在、高野山には、刻を告げる鐘が二つあります。六時の鐘と、大塔の鐘がそれです。
六時の鐘は、元和四年(1618)に福島正則が奉納しましたが、寛永七年(1630)に焼失したため、寛永十二年(1635)に再び奉納したものです。午前六時から午後十時まで、二時間置きに刻を告げています。一度につき十二回撞きます。
大塔の鐘、通称高野四郎。この名は、日本で四番目に大きい鐘であることからつけられた、といいます。現在の鐘は、天文十六年(1547)に改鋳されたもので、直系2,12メートルの大鐘です。
この鐘は、午前四時、午後一時、午後五時(春季彼岸から秋季彼岸間は午後六時)、午後九時、午後十一時に、十八回ずつ、全部で百八回撞きます。
午後十一時には、18×2、三十六回撞く事になっています。
午後十一時に撞く鐘は、後夜の鐘といい、この鐘を撞く事についてはいくつかの伝説があります。そのひとつは明神様に関する説で、『紀伊続風土記』の五十九巻(『続真言宗全書』第四十)に紹介してあります。
それによると、この時間には明神様が悪魔を降伏するために矢を放つ、といい、もし鐘が鳴った時に外を出歩いていたならば、必ずその場に平伏して、息をひそめていなければならず、もしそれを怠れば、神罰が下り、その矢に当たって命を失う、としています。高慢横柄な者がよくこの矢に当たり、その様な例は枚挙にいとまがない、とまでしています。そして、「矢越」という地名はこの事に依るのだ、としています。(この地名は、花坂のあたりの
「矢立」の事であろうと思われます)。
別の説は、庚申を守るため、というものです。
庚申の夜には、三尸(上尸、中尸、下尸)という人間の身体に巣くう蟲が、人が寝ている間に体内から抜け出て、天帝にその人の罪を告げ口をする。それによって人は天帝の裁きを受け、ぽっくりと死んでしまったりするのです。
それを防ぐために、庚申の夜は眠らずにいるのですが、その夜が始まる時間が、午後十一時なのです。
この”三尸”の説は、もともと道教の説なのですが、仏教にも取り入れられて、日本では庚申を「かのえさる」に当てて、三尸を不見、不言、不聞の猿にあてがって考えています。ただ現在では、「かのえさる」にこだわらずに、午後十一時には鐘を撞いているのです。
このような伝説もありますが、とにかく高野山の鐘は今日も刻を知らせて鳴り響いています。六時の鐘も、大塔の鐘も、今では高野山の風物の一つです。お参りの際にはその鐘の音を聞いて、その歴史や伝説に思いを馳せてみるのもよろしいかと思います。
dnet0082 李 書文
1994,7,3了