高野山の魅力
高野山の伝説(4) 三鈷の松の事
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
高野山伽藍ばなしシリーズ,4
三鈷の松の事
三鈷の松の伝説については、みなさんご存じの事と思います。
そのお話を、簡単ながら挙げておきます。
延暦二十三年五月に入唐したお大師様が、その二年後、帰朝する際、明州の浜で、「私の学んだ密教を教え広める根本道場として、伽藍を建立しようと思う。願わくば伽藍建立に適した地を示したまえ」
という誓願を立てて、空に向けて密教法具の三鈷杵を投げられますと、それは紫雲に包まれ東の空へ飛び去りました。
お大師様が帰朝の後、伽藍建立の地を紀伊の国、紀の川のほとりまでやってくると、そこで身の丈八尺ばかりもある、白黒二匹の犬を連れた狩人と出会いました。
お大師様が、この地へ来た訳を説明しますと、狩人はこう言いました。
「そういえば、この近くの山に、昼には瑞雲たなびき、夜には瑞光を放つところがございます。もしかしたら、お探しの三鈷杵はそこかもしれません。そこまでこの二匹の犬に案内させますので、後についてお行き下さい。」
お大師様は二匹の犬に導かれて、川の上流の山へ登りますと、そこで一人の女性と出会いました。
「あなたがお探しの三鈷杵は、この先の松の枝に掛かっております。私は、この山の主の丹生都比売といいます。途中であなたが出会った狩人は、私の弟です。 この山は、あなたにさしあげましょう」
丹生都比売はそう言うと、いつの間にか姿を消してしまいました。
確かに松の枝に、明州の浜から投げられた三鈷杵が、光を放ちながら掛かっており、お大師様はこの地に伽藍を建立する事となりました。
というわけで、伽藍の境内、御影堂の前には三鈷の松が立っております。幾度もの火災に焼かれ、今ある松は六代目の実生(みしょう;種から生えたもの)です。
いまでも、三鈷の松を拾っては持ち帰り、お守りとする方々が多いのです。
ところでこの「三鈷の松」という松の木について、異説があります。それは、お
大師様が明州も浜から投げた三鈷杵が掛かった松は、現在木が生えている場所では
なく、現在大塔が建っている場所に生えていた、という説です。
『高野山秘記』(明徳四年;1393)に、
「自大唐所令擲三古杵、落御落所、大塔心柱跡也」
とあり、大塔の丁度心柱の下が、三鈷の松の生えていた所であったとしています。
また、水原尭榮師の『神秘の霊峰高野山の傳説』には、『三僧記類聚』という
書物を引用して、
「三鈷松大塔之跡ニアリケルヲ切捨大塔ヲ建テタリ御影堂三鈷松ニハアラズト云」
として、勧学院にもとの松の切り株が保存されている、としています。(この切り株は、現在霊宝館の収蔵庫に納められている、ということです)
また、『紀伊続風土記』『南山要集』『日域諸寺私記并諸社』等には、大塔跡に生えていた松を、現在の場所へ植え直した、としています。
これらの説のどれが本当の説か、というのは、現段階では判りませんし、これからもはっきり判る事はないでしょう。ただ、私個人としては、切り倒してしまった、というよりも、やはり植えかえ、生えかえて今に至る、という方が時の流れ、法灯の継続を感じさせて、ロマンがあっていいと思うのですが、みなさんはどうお感じになるでしょうか?
ついでながら現在の三鈷の松は、昭和五十七年十月末に枯死したため、かねてより育成していた新しい松が植えられています。総本山金剛峰寺山林部が種子から育成した樹齢三十年(平成六年五月現在)の黒松と、金剛峰寺の寺有林から移植した樹齢三十三年(同前記)の赤松の二本です。
DNET0082 李 書文